料理は愛だ!

アメリカのドラマを見ていたら

ある男性が、奥さんのために料理を習い、料理を作るシーンがあった。

その男性は料理なんてほとんど作ったことがなくて、料理を作って奥さんを喜ばすことなど想像もしたことがなかった。

そんな彼が奥さんが好きだと言う料理を知り、プロにその料理を教わり、教わることに喜びを感じた。

家のキッチンにひとり立って、もくもくとその料理を作る、奥さんのために。

「料理は愛なんだ」そう思った。

その男性の背中を見て、実は、わたしは軽く落ち込んだ。

いや、結構落ち込んだ。

もう、わたし何年もちゃんと料理してないなと。

毎日息子のために義務で夕食を作っていた頃、会社から残業して帰り、ひどい時は終電で駅から全力で転げるように走って帰って作った。

ただ栄養のバランスをとって、ちゃんとしたものを食べさせなくてはと、息子のためだけに作っていたときは、

30分かせいぜい1時間以内で作れるものしか作らなかったし、それを楽しいなんて微塵も思わなかった。

料理を嫌だとは思わなかったけれど、

健一くんが、オレが代わりにつくろうかと言ってくれた時は、やったー!と飛び上がって喜んだ。それ以来何年も経つけれど、

また自分が料理するなんて考えたこともなかった。

落ち込みながらも、2−3日考えて、勇気を振り絞って言った。

「これからわたしも、たまにはご飯をつくろうと思う・・・、週に一回とか・・・」

言ってしまってから、

作れるのかなあ、無理かも・・・という気持ちもよぎったけれど

健一くんが嬉しそうに、ほんとに!? ねえ、なんで?と聞いてくる

かくかくしかじかで・・・

料理は愛だから…

とわけのわからないことを言い

とりあえず、今週やってみることにした。

その日は、午後行く予定をしていた大好きなカフェに行く予定をしぶしぶ取りやめて、夕食の準備をすることにした。

そうはいっても、何しろ億劫で、もじもじしながら過ごすうちにとうとう夕方になり

そろそろ始めなくっちゃ・・・と、重い腰を上げた。

もはやレシピを見ないと作れないほどウデもカンも退化しているから、のそのそとレシピ本を開くところから始まった。

はかりで使いたい材料の重さを測り、その重さとレシピ本の材料の分量とを比べて、調味料の分量を計算し直した。

めんどくさいな・・・と思っていたのが、途中から、結構おもしろいな…に変わっていった。

料理をしている、ご飯を作っているというよりは、何かモノをつくっている・・・そんな感じだ。

子供の時は、積み木だの、粘土だの、絵を描くとか、モノをつくる機会って結構あったけれど、大人になると意外とない。

つくること自体がおもしろいな・・と思った。

アートは作ってから作品として残すけれど、料理は食べてしまう。

2時間、3時間かけて作ったものを、20分か30分で食べて、最後はうんことして出すだけ。

作品としても残らず、思い出に残るかどうかもわからない。

食べる瞬間に喜びが生まれ、栄養となり、体を作り、うんことなる・・・

生産性があるのかどうかわからない、これってほんとに愛かもしれない・・・

究極じゃないかと、考えているうちに興奮してきた。こういう変な理屈で納得してしまうところが昔からあるみたいだ。

わたしのまわりには、料理を上手に作ることができて、人を喜ばせている人がたくさんいる、

みんなすごいなと改めて感じた。料理ができるから(好きだから)すごいのではなく、料理で人を喜ばせたいという思いががすごいなと思った。

作ったモノを、健一くんはおいしいと言って食べてくれた。

いつまで続くかわからないよねと言ったら、

今日はもう作らなくてもいいよ・・・とオレから言うかもと笑っていた

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ひとりだとなかなか本が読めないと言う方へ・・・